信頼できる医師を持つのと同じように信頼できる翻訳家を持つことは大事だと、私は考えている。信頼できる翻訳家を持てば、何を読み、何を捨てるべきか、自ずとみえてくるようになるからだ。一流の翻訳家に出会えば、読書の質は格段に向上し、「生きた日本語」の語感も鋭くなる。
信頼できる翻訳家は、信頼できる出版編集者を持っている。その信頼できる出版編集者には、信頼できる出版人脈がある。同じように、一流の翻訳家には、一流の出版編集者がついている。一流の出版編集者には、一流の出版人脈がある。だから、一流の翻訳家をみつければ、一流の出版人脈を活用することができるようになる。
それでは、誰が一流の翻訳家なのかということになると、いまのところ明確な基準や、指標はない。雑誌やメディアによく取り上げられているとか、大学の教授だからとか、スクール関連産業のカリスマだからといって、翻訳家として「一流」かどうかはわからない。
ではどうすればいいのか。あたりまえのことだが、翻訳書を読むしかない。インチキ翻訳、トンデモ翻訳、三流翻訳を読まずして、一流の翻訳作品のすごさ、すばらしさ、感動を味わうことはできない。
原著者の心を踏みつぶし、クズに変わり果てた名著を何冊も読まされれば、一流の翻訳家が誰で、一流の翻訳作品が何なのか知りたくなる。インチキ翻訳、トンデモ翻訳、三流翻訳で味わった失望と怒りのエネルギーを一流の翻訳家をみつけるためのエネルギーに変換すれば、思ったより簡単にみつかる。
乱読、積読を繰り返すうちに、信頼できる翻訳家が誰で、信頼できないインチキ翻訳者が誰なのか分かるようになる。意識してその違いを読み込めば、数十冊でその違いがみえてくるかもしれない。語感に敏感で、肩書きや権威に目を奪われなければ、わずか数冊でわかるようになるのかもしれない。
とはいえ、インチキ翻訳、トンデモ翻訳、三流翻訳ばかりを読んでいると、頭の方がおかしくなってきて翻訳書など投げ捨てたくなる。そこで、翻訳家から尊敬される翻訳家、翻訳家の中の翻訳家といわれる翻訳家とその代表的な翻訳作品を一冊だけ紹介しておこう。
翻訳家、仁平和夫が翻訳した『トム・ピーターズの起死回生』。この作品のすばらしいところは、作品内容はもちろん、新しい翻訳スタイルをつくりあげたところにあると、私は考えている。
新しいタイプの翻訳書には、仁平和夫の翻訳スタイルに影響を受けているものが多く、仁平和夫がつくりだした独特の訳語や言い回しが、そのまま出てくる翻訳作品だってある。
翻訳家、仁平和夫の翻訳作品を読んでおけば、ひとつの判断基準ができる。インチキ翻訳、トンデモ翻訳、三流翻訳がどんなにひどい翻訳なのかを知りたければ、仁平和夫の翻訳作品と比べてみればいい。
雑誌やメディアによく取り上げられている翻訳家、大学教授でマルチタレントだという翻訳家、スクール関連産業のカリスマ翻訳家の作品と仁平和夫の作品を比較してみればいい。インチキ翻訳、トンデモ翻訳、三流翻訳のドロ沼から抜け出せば、新たな世界が目の前に広がっている。そう、そこは「生きた日本語」の世界だ。
|